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映画という<ストランド>『創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち』を読んで「映画の感想」について考える
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※今回は書き方を変えております。ご了承ください。

ゲームクリエイターである小島秀夫氏が上梓した書籍『創作する遺伝子 僕が愛したMEME(ミーム)たち』を改めて読んでみた。

小島さんの書かれた言葉がトリガーになり、色んなことを感じ、思い、考えた。

今回の記事では、その中でも「映画」をキーワードにして、文章を綴っていきたいと思う。

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ホラー映画の魅力

誰かが褒めたものが面白くなくても、まったく問題ない。それは、あなたの価値観で判断されたことだから。あの人が褒めていたから面白かったというのは、誰かの意見をツイッターでただリツイートするようなものだ。

『創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち』(小島秀夫)

私は、映画の中でも、とりわけホラー映画が好きなようだ。

自覚していなかったが、このブログの前身にあたるライブドアブログ「四十郎おっさんが綴る映画やアニメの感想まがい」で読者の方から指摘されて、初めて気がついた。

アクションやSFなど、もちろん鑑賞しているが、圧倒的にホラー映画の鑑賞数が多かった。

当初、ホラー映画は面白い面白くないというジャッジが比較的かんたんで、話のネタになりやすいから、自分は好んでいるのだと思っていた。

しかし、『創作する遺伝子 僕が愛したMEME(ミーム)たち』に書かれていた文章を読んで、ハッとした。



ホラー映画を好んで鑑賞する人々は、意外なことに、自分なりのホラー映画に対する軸がある。

ほかの方の感想を読んでみると、自分の価値観を通して、映画の感想を綴っている方が比較的多い。

昔はSFというジャンルがそうであったかもしれない。しかし、現在では、SF自身が何をもってSFなのか、わからなくなっている状態である。

もちろん、他のジャンルにおいても、自身の価値観に寄って、さまざまな感想を書いている方はいる。

しかし、その絶対数はホラー映画ファンで構成されているように思う。



私は宮崎駿さんの最近の作品は好きではない。そればかりでなく、そもそも面白くないのだ。

『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』そのほか諸々よりも、『となりのトトロ』の方が圧倒的に好きだし、宮崎さんではないけど『おもひでぽろぽろ』『紅の豚』も好んでいる。

でも、巷では、これが全く理解されない。

自分が面白くないと感じていて、そう言っているのに「宮崎駿の作品だから面白い」と見ていないにも関わらず断言し、さらにそれを私にも強要する人々。

それはインターネットの世界でも見ることができた。

激しい嫌悪感と理解できない状況に辟易し、なぜ自分がそういった行動が嫌いなのか、簡単に考えてはいた。

けど、わかりやすく文章にはできず、ずっともどかしい気持ちでいた。



そこにきて、小島さんは、とてもわかりやすく「なぜ、そういった事を私が毛嫌いしているのか」について説明してくれた。

要は、そういった人々の中には「自分」がないのだ。

「自分」がないから「自己の考え」が存在せず、周囲のデータによって、次々に「思い」がアップデートされていく。

それを許容してしまったら、自分は何のために存在しているのか?



だから、私は「自分」を持たない人を嫌う。

偏った見方だが、ホラー映画が好きな人は、自分なりの価値観があって、それを圧倒的熱量、勢いで文章を書き連ねている。

そこには、存分に「自己」が存在している。だからこそ、私は今日もホラー映画を鑑賞するのだ。

改めて考えるブログ

(映画解説者は)舶来品を安心して堪能できるよう、僕らを導いてくれる人たちだった。内容の詳細な批評はしない。

(中略)

「評論」とは食する前に味を特定する事。「解説」とはどの地域の食材で、どういうシェフが、どういう料理を創ったかを要約する。この違いは大きい。

『創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち』(小島秀夫)

『創作する遺伝子 僕が愛したMEME(ミーム)たち』には「映画解説者」について書かれている箇所がある。

該当箇所を読んだ時、私は心底、ぞくりとした。

私は、前身のブログでも、このブログでも、鑑賞した映画について出来るだけ評論しないようにしてきた。

あくまで自分の感想であり、映画の良いところと、悪いところを書いて、どういうタイプの方なら楽しめるのか、それを意識して記事を書いてきた。

だけど、本当にそれをできているだろうか?



今はインターネットによって、淀川長治さんたちのような存在が不在でも、ある程度の製作においての状況や情報、背景を入手できる。

そのため、映画に限らず、全てのクリエイティブなものに対し、解説者ではなく、評論家の人々が付いてまわる。

しかし、昔と異なり、自分を評論家と名乗る人々は、単に作品を○か×かでジャッジするだけの存在となっている。

もちろん、見識を広げてくれる方々もいらっしゃる。

しかし、そういった方たちは少数派で、大多数は自分が好きか嫌いかだけを述べている。



インターネットが登場し、評論家の立ち位置は変わったかもしれない。

でも、だからといって、その役割は変容したとしても、一般人と同じ事をしていたらダメだろう。

「評論家」でご飯を食べているのなら、一般人とは全く違う角度で作品を紹介し、より作品に関する見識を広げるように努力しなければ。その最後に自分の感想を付けるのであれば、なお良しなのだ。



翻って、それでは自分は感想と、そしてプラスαの何かを示しているだろうかと考える。

うん。全くもって、できていない。

『創作する遺伝子 僕が愛したMEME(ミーム)たち』を読んで、もう一歩も二歩も踏み込んで、このブログについて考える必要を思い知った。

様々な映画を紹介したいという思いと、こんな変な映画を好きなヤツもいるんだと世の中に言いたいからスタートしたブログ。

この機会に、もっと記事の書き方を模索しようと、私は考えた。



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