コールドスキンとディヴァイド
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どーも、映画好きな四十郎のおっさん999です。

今回は以前このブログでご紹介した、ふたつの映画について思う事がふわりと出てきたので、書いていきます。

『コールド・スキン』と『ディヴァイド』、このふたつの映画は監督が一緒で、内容は違うけれど、作風に似た部分があるんですね。

どちらも「観る人を選ぶ」という、ふわふわな共通点なんですけどね。

私の書いた感想がそれぞれあるので、興味のある方は、一度読んで頂けると嬉しいです。

私は『コールド・スキン』を面白く鑑賞する事ができました。しかし『ディヴァイド』は最後まで面白くなくて、どのようなメッセージを見出すか、かなり悩みました。

どうして、これほどの差があったのか?

人によって作品を観る心持ちって違う訳ですが、最近の私は、どうも「繋がり」を重視しているみたいです。

「繋がり」の有無による映画鑑賞

小島秀夫さんの書籍『創作する遺伝子』を読んでからずっと、私の心の中には「繋がり」というキーワードが以前よりも大きく鎮座しています。

ちょうど2019年9月から「繋がり」を意識せざるを得ない事に遭遇していて、それを大切にしたいと考えているんですね。

そうなってくると、映画にも何らかの「繋がり」を見出したいって思うようになるようです。



『コールド・スキン』について、主人公は島に住む謎の生物と共存を図ろうとします。コミュニケーションをおこない、なんとか一緒に住めないかと。

彼は、魚人ともいえる生物と心を繋げようとしたのではないでしょうか。

ラストにおける描写では、主人公と生物たちが、果たして心を通わせる事ができたかどうかは、明らかになっておりません。

おそらく観客にその判断を委ねたのだろうと思います。

それでも、私は、主人公と生物は心を繋ぐ事ができたと信じています。

どちらにも取れるエンディングであるからこそ、私は可能性を感じる事ができました。



翻って、『ディヴァイド』はどうなのか。

『ディヴァイド』では心を通わせようとする人と、心を閉じる人に分かれ、ストーリーが進みます。

その中で、主人公は誰かと心を通わせようとしているようで、実は自分に火の粉がかからないように立ち振る舞っています。

主人公は女性なので、その行動自体は理解できるし、納得もできる。

そして、彼女が最後に出した答えは、他人との繋がりを断つ事でした。


あの作品であれば、婚約者は信用できないにしても、アパートメントの管理人を見捨てる事はできないはずです。

納得できない部分もあるでしょうけど、それでも自分の持ち物をみんなに分け与えていたし、場所も提供していた。

なのに、最後の最後に、信用した主人公に見事に裏切られてしまう。

この映画には、「他人を利用して自分だけが助かればいい」っていうようなメッセージが、わかりやすく発信されているので、私としてはそこが気に入らなかったんでしょうね。



誰かと、何かと繋がろうとする『コールド・スキン』。

繋がりを否定した『ディヴァイド』。

巷の評価は、両作とも似たような感じです。

人によって、何に価値を置くか。何を重要視するかは変化します。

映画を鑑賞して、ひとしきり楽しんだ後は、ちょっとだけ違った角度で映画を振り返ってみると面白い発見があります。

もし、ちょっと時間がおありでしたら、そのような楽しみ方もいかがでしょうか?



そんな訳で、今日はこの辺で。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

映画好きな四十郎のおっさん999でした。

それでは、しーゆー!

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